ガイドブック多民族社会

多様なオーストラリア人

多様なオーストラリア
オーストラリアには、現在、200以上の異なる民族的背景を持つ人々が暮らしており、国民の約3割が海外生まれです。1970年代初めに多民族・多文化主義政策が導入されて以来、オーストラリアでは、歴代政府が、国内に住む様々な民族グループのために各種サービスを提供し、多様な文化に寛容な社会形成に取り組んできました。

これらには電話による行政サービスを受ける際の通訳・翻訳サポートや多言語放送メディアの提供などが含まれます。国内には、ラジオやテレビの多言語・多文化放送局があり、ギリシャ語、イタリア語、中国語、日本語、フランス語などそれぞれの民族グループで使用される言語による番組が放送されています。内陸部においても、先住民言語を話すアボリジニが多い地域では、専用のテレビ・ラジオ番組があります。

現在、人々の生活様式には多民族の文化が大きな影響を与えています。学校では英語を話し、家庭ではその家族の母国語を話す子供も多くいます。また、人々は、多種多様な料理や音楽、ダンス、スポーツなど背景豊かな文化の恩恵を受けています。今日の多民族・多文化国家オーストラリアでは、人種による差別は法律で禁じられています。

先住民族アボリジニとトレス海峡諸島民

先住民族アボリジニとトレス海峡諸島民
アボリジニの子どもたち
アボリジニは、18世紀末のイギリス人による本格的な入植が開始される遥か以前から、オーストラリアの厳しい気候に順応し、土地や環境と深いつながりのある伝統的な生活を営んできました。「アボリジニ」とは後に渡来したヨーロッパ人が付けた呼び名です。彼らは元来は200以上あったとされる言語を有する数多くの異なった民族集団を形成し、非常に複雑な社会システムの中で生活していました。また、メラネシア諸島を出身地域とするトレス海峡諸島民は、アボリジニよリ後にオーストラリアに渡ってきた人々で、彼らの文化とアボリジニの文化は大きく異なります。彼らはカヌーで近隣の島々に渡り、お互いに海産物や農産物を交換して生計を立てていました。

18世紀に始まったヨーロッパ人の入植は先住民の生活に大きな衝撃を与えました。入植者により彼らの土地の多くが奪われ、土地の所有権をめぐる論争や争いは、今日に至るまで続いています。連邦政府によって初めて先住民側の土地所有権(先住権限)が認められたのは、1972年になってからのことです。

先住民の権利を確立する活動は1920年から30年にかけて始まり、1962年の連邦選挙において、初めて先住民に投票権が認められました。また、1967年には国民投票による圧倒的賛成の結果、オーストラリア国民としての市民権か、先住民に与えられました。2008年には、連邦議会において、「盗まれた世代」とよばれる先住民族と白人との混血児童に対して過去に施行された隔離政策について、政府が初めて公式に謝罪しました。

現在、国内には約50万人の先住民族がいるとされ、その大半は都市部に住んでいますが、内陸部や遠隔地のコミュニティーで伝統的な生活様式を維持している人々もいます。オーストラリアでは、毎年5月27日から6月3日を「国民和解週間」(Reconciliation week)、また7月の第1日曜日からの1週間を「全国先住民記念週間」(NAIDOC week)として制定し、先住民の文化、歴史、今日のオーストラリア社会に彼らが果たしている貢献を祝いながら、先住民、非先住民それぞれがお互いの関係修復に取り組んでいます。

NAIDOCとは、全国アボリジニ及び諸島民の日遵守委員会(National Aborigines and Islanders Day Observance Committee)の頭文字を意味するものです。

多民族国家までの道のり

多民族国家までの道のり
19世紀半ばに起こったゴールドラッシュを皮切りに、イギリスやアイルランドからだけでなく中国などからも数多くの移民が押し寄せるようになり、非ヨーロッパ系移民に対する反発か強まりました。政府はこれを受け、1901年に発足した新連邦議会による初の制定法のひとつとして非ヨーロッパ系移民の移住を制限する法律を成立させました。この法律は「1901年移民制限法」と呼ばれ、「白豪主義政策」として20世紀後半まで続きました。

しかし、国内経済の発展とともに海外からの労働力を必要とするようになった政府は、移民政策の制限を徐々にゆるめざるを得なくなりました。特に第二次世界大戦後の経済復興と急速な経済発展の時期には、南ヨーロッパ諸国を中心に、国外から多くの移民が受け入れられるようになりました。

その後、経済、文化面でのアジアとの結びつきが徐々に強まるにつれ、白豪主義は国民の間からも、また政府内でも、オーストラリアの民主社会における平等主義の原理に反すると考えられるようになりました。1950年代から60年代にかけて白豪主義の影響は次第に弱まっていき、1973年、正式に撤廃されました。1970年代以降は、アジア人のオーストラリアへの移住が急激に増加しました。また、オーストラリアはベトナム戦争後に、数多くのインドシナ難民を受け入れました。

現在のオーストラリアでは、人種、性別、肌の色、年齢に関わらず、法律によりすべての国民に平等な権利が保障されています。言論の自由や文化、宗教の自由といった人権の保障に加え、国民は地域社会におけるサービスや手当てなどを平等に受ける権利と、雇用機会の平等が保障されています。

市民権

市民権
1949年のオーストラリア・デー(1月26日の祝日)に「1948年国籍と市民権に関する制定法」が施行されるまで、オーストラリアはイギリスの属領であるとみなされ、オーストラリアの市民権という概念は公式には存在していませんでした。

市民権とは個々の国民と国との法的関係を定め、それぞれがオーストラリア社会の正式な一員であることを示すものです。

移住者の多くが市民権を取得しますが、これによって制限のない出入国の権利と選挙権および被選挙権(どちらも18歳以上)が認められます。